dZi Beads  story  1

ジービーズを見るには主に3つの視点が重要になります。
 
一つは考古学、民俗学的視点。
二つ目は骨董という趣味的な世界で生きる視点。
三つ目は思想という視点。
 
おそらくこのどれが欠けても
我々伝える側はこちらに立つことはできず、
最低限、この三つが備わってこそ
はじめて本当の意味でお客様に対峙できるのではないかと思います。
 
ただ、現状はと申しますと、
我々骨董界では
二つ目が突出しておりまして、
一と三はどうやらあまり大事にされません。
そして学問の世界では
二つ目がややないがしろにされます。
 
骨董界のお話をしますと、
それはやはりお金が大きく影響をしています。
 
一と三は残念ながら時間を割いた割にはお金として返ってきません。
むしろ、時にそれが邪魔をすることさえあります。
 
当店に初めてお越しになる方で他店舗様で長くお付き合いをされて来られた
お客様との間にはたまにそういう小さな「壁」が生じることございます。
 
特に思想のお話、これは当店の個人的思想という意味ではなく、
チベット密教という宗教の中で生きたという意味です。
彼らがなぜこの石を守ってきたのかという本質の部分です。
 
こういうお話をしますとコレクションとしてジーを見ている方にとっては
非常に面倒くさいものになったりしますので、
どうもお話を聞いていただける感じにはならないときがたまにあります。
特にそれは中国の方にとても多い傾向です。
 
収集する喜びは当然我々は有しています。
むしろ一般の方よりその点ははるかに理解しています。
それは当店の品数を見て頂ければその情熱は一目瞭然なはずです。
けれども少し考えて頂きたいのは、
なぜそのものがこの世に誕生したのかというそのものの本質のところです。
 
この世界に関わり、ある時点でそこにたどり着けなければ
本当の意味で心の芯が燃えることがないということに気づきます。
 
であるからこそ、
我々はお客様に自身が踏んできた経過、
つまり膨大な時間とお金を費やして気づくプロセスを踏ませず、
ショートカットしていただく・・
これも大事な我々な仕事のひとつではないかと当店は思っています。
 
そのためには一と三が欠かせない訳です。
 
 
 
さて、前置きが長くなりましたが、
なぜこういうお話をしたかと申しますと、
こちらでご紹介のジービーズにその要素が垣間見れるからなんですね。
 
ここで下方の画像を見て頂きたいと思いますが、
ひとつ、非常に不可解な点がこのジーに見ることができます。
どこでしょうか・・・
 
先を見ずにいったんここで画像をご覧ください。
お分かりになりましたか…?
 
一見すると、
このジーは片側にやや減りが見られます。
マーケットでもそう評価されるはずです。
ですから当然、
このジーは色は濃く、
肌も趣がありますが、
完璧なジーより大分お安くなります。
それは当店でも同じです。
個人的思想で値は付けていません。
 
しかし、はたしてそのマーケットの評価は正しいのでしょうか・・・?
 
減りと思われる部位、
貫通穴内側に黒く染まる箇所が見られます。
これはどうしてできた痕でしょうか・・?
 
当店としては二つの答えを想像していますが、
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
 
 
そして・・
仮に仮説のひとつ、
もしこれがいわゆるジー特有の薬や仏の世界へ等の減りではないとしたら・・
どういうプロセスを経ることでこのような痕を描くのでしょうか。
 
そこには古の人々の想いも非常に絡んでくるはずです。
もし当店の一方の仮説が正しい場合でも、
それでもマーケットの評価は正しいのでしょうか・・・
 
 
ジービーズに描かれる文様は概ね表面から0.5mm程度までの浸透しか許しません。
もちろん、石の組成やコンデイションにより一様ではありませんが、
数万点というジーを見て来た経験から大体この感覚は正しいと思います。
ただ、ほとんどの方が知らない少しマニアックな事をお話しますと、
まったくその表層部だけ・・ではおそらくありません。
じんわりと芯に向かい・・非常に淡いのですが・・・
そういう要素をもちろんすべてではありませんが感じさせるものがいくつも存在しています。
いつかこの指摘については
別の機会を設けてお話しをしてみたいと思います。
 
それでは話を進めていきます。
先の点を踏まえてもう一度、この現象に目を向けてください。
穴の内側近くに茶色くジー特有の色が絵から確認できます。
これはどうしてこうなったのでしょうか。
表面から色が内部に徐々に浸透していくはずの色が
中間を飛ばしそこに色が溜まる。
この現象をみなさんはどう解説するでしょうか。
 
繰り返しになりますが、
これには2つの答えがあると当店では考えています。
その説を話してしまうと少し長くなりますのでここでは割愛させていただき、
別の機会にてあらためてお話してみたいとおもいます。
 
今回はジーを見るという事は単にその姿形だけではなく、
その奥に潜む物語を見つめることもとても大事ですということを
皆さんに知っていただければと思います。
 
 
 
先のお話したように骨董という世界だけで見ていると、
場合によっては商売オンリーになりがちなのでなかなかここにアプローチすることはできません。
しかし、こういう視点をもつことで、
ジービーズは単に表に映る姿だけで評価されるべきではないということが
わかってまいりますし、
そこにこそ、興ずる喜びがあるような気もいたします。
 
みなさんも、
是非、周囲に惑わされず、
目の前にあるそのものを素直な気持ちで感じ取ってみてください。